
NOBODY

ノット・サティスファイド

■1980/3 ビクターINVITATION
■1stシングル
1978年結成。1979年にヤマハ主催のアマチュア音楽コンテスト「EastWest」にて優秀バンド賞、最優秀ボーカリスト賞を獲得し、翌1980年にシングル「ノット・サティスファイド」、アルバム『アナーキー』でデビュー。
オリジナルメンバーは仲野茂(ボーカル)・藤沼伸一(ギター)・寺岡信芳(ベース)・小林高夫(ドラム)・逸見泰成(ギター)の5人組。
デビュー当時は全員が国鉄の制服を着用し登場。正統的なUKパンク模倣バンドとして当時の中高生を熱狂させた。1stアルバム「アナーキー」はオリジナル曲と、クラッシュなどの曲にオリジナルの日本語歌詞を乗せたカバー曲を収録し10万枚以上の売り上げを達成。
しかし、そのアルバムに収録されていた「東京イズバーニング」という曲(オリジナルはクラッシュの「London Is Burning」)の歌詞が皇室批判を唄っていたため、レコード会社が右翼団体の脅しに近い抗議を受け問題となり回収措置となり、後にその曲を削除して販売されることになった。
業界内でも多くのタレントがファンを公言しており、山下達郎に至ってはアルバムを発売日に買っていたという。一方で歌詞の内容やサウンド、アクションに対し、ただのクラッシュの模倣であるという批判も多く、同時期に活躍していたスターリンの遠藤ミチロウは雑誌等で「あいつらのライブに行くより外でテニスでもしてたほうが健康的でいい」と、アナーキーの批判を行っている。遠藤とは映画「爆裂都市」の出演をめぐり衝突した事もあり、ファンも含め長らくお互いがいがみ合っていたが、数年後に出演したイベントで泉谷しげるの仲裁によって和解。
1986年にギターのマリが傷害事件を起こした為、バンドは活動休止。2005年に全アルバムとオリジナルメンバーによる新曲、更に秘蔵映像を収録したDVDをセットにしたBOXが発売された。
[ANARCHY OFFICIAL SITE]
Let's Go Garage

■1982/10/21 EPIC・SONY
■3edシングル
■作詞作曲:森山達也
森山達也(ボーカル・ギター)・ 苣木寛之(ギター)・北里晃一(ベース)・梶浦雅裕(ドラム:2007/2/20脱退)の4人により1974年前身のバンド『開戦前夜』を発展させて結成。1981年アルバム『FIGHT OR FLIGHT』シングル『崩れ落ちる前に』でデビュー。2006年でデビュー25周年を迎えた日本のロックの大御所的存在である。
この曲は、1982/9/22に一風堂の土屋昌巳をサウンドプロデューサーに迎えてレコーディングされた3thアルバム『LOOK OUT』に収録されたゴキゲンなR&Rナンバー。映像は、1982/6/20に4000人を動員し日比谷野外音楽堂にて行われたデビュー1周年ライヴ。途中、記録的な集中豪雨に見舞われたにも関わらず誰1人として帰る者がいなかった、あの伝説の『雨の野音』。まだ発売前のこの曲がオープニングを飾っている。続く2曲目はデビューアルバム『FIGHT OR FLIGHT』に収録の『が・ま・ん・す・る・ん・だ』。演奏途中、客席前方での喧嘩が原因でストッパー用の鉄柵が折れてしまい、一時中断するというアクシデントが起こる。
[歌詞]
[THE MODS OFFICIAL SITE]
SOMEDAY

■1981/6/25 EPIC・SONY
■4thシングル
■作詞作曲:佐野元春
発売当時のシングルチャートでは84位とセールス的に振るわなかったが、1982/5/21にリリースされた初期の傑作アルバム『SOMEDAY』に収録され、そのアーティスト性が広く認知されるきっかけとなった。ファンの間では「Rock & Roll Night」と並ぶモニュメント的ナンバー。1990年にJR東日本がCFソングに起用。また、映画「世界の中心で愛を叫ぶ」でも挿入歌として使用されている。
映像は、2000年5月にNHKBS2で放送された「佐野元春・疾走するロックンロールハート」。
[歌詞]
[佐野元春オフィシャルファンサイト]
サマー・タイムブルース

■1980/10/21 CANYON
■1thアルバム『WE LOVE 子供ばんど』収録
■作曲:E.Cochran・J.C 訳詞:うじきつよし
1979年ヤマハ主催の「EastWest」に出場しグランプリを受賞。デビューメンバーは、うじきつよし(ギター・ボーカル)・谷平こういち(ギター)・湯川トーベン(ベース)・山戸ゆう(ドラム)。1980年キャニオンレコードからファーストアルバム『WE LOVE 子供ばんど』でデビュー。初期には演奏の迫力だけでなく、うじきが頭に小型アンプを載せてパラシュートを背負い会場を走る、トーベンがマントの中に電飾を仕掛け光らせる、山戸のスティックを折りまくるなどの派手なパフォーマンスで観客を沸かせていた。当時TVKで放映されていた音楽番組「ファイティング80s」ではMCの宇崎竜童とともに「宇崎・うじきのファイティング道場」というコーナーを持ち、ライブ映像の合間にお茶の間を楽しませていたのを記憶している。
それでは、その「ファイティング80s」でのエネルギッシュなパフォーマンスをご覧下さい。間奏のギターパフォーマンスを見ていたら懐かしすぎて涙出てきました。
Early Morning Rain

■1981/03/21 EPIC・SONY
■1thシングル
■作詞作曲:中島文明
1980年東京 蒲田にて結成。翌81年『ファイティング80s」レギュラー出演開始。同年3月同曲を発売しレコードデビューを果たし、翌月4/21アルバム『Hungry Angry』リリース。
1983年ビクター・インビテーションに移籍。オリジナル・メンバーの中島文明(ボーカル・ギター)・中村信吾(ギター)に加え、大谷幸(キーボード)・今井智(ドラム)・青木清(ベース)が参加し、バンド名も“ダンガン・ブラザース・バンド”と改める。
管理人の大好きだったこのバンド(この曲)の映像は動画投稿サイトにアップロードされていませんでした。情報をお持ちの方がございましたらご連絡をいただけると嬉しいです。
追記:2009年12月15日 pksayonara様によりYouTubeにUPされました。
[歌詞]
[Dang Gang Brothers Band公認web site]
[中嶋文明OFFICIAL SITE]
TWO PUNKS

■1981/6/21 EPIC・SONY
■1thアルバム『FIGHT OR FLIGHT』収録
■作詞作曲:森山達也
1974年、前身のバンド「開戦前夜」を発展させる形で結成されたTHE MODSが1981/6/21に満を持して放ったデビューアルバム、「FIGHT OR FLIGHT」のなかの珠玉の一曲。
森山達也(ボーカル・ギター)・苣木寛之(ギター)・北里晃一(ベース)・梶浦雅裕(ドラム: 2007/2/20脱退)の4人により1981/6/21EPIC・ソニーよりシングル「崩れ落ちる前に」、アルバム「FIGHT OR FLIGHT」でデビューしたTHE MODS。ロンドンのマトリックススタジオでレコーディングされた記念すべきこのデビューアルバムに収められた曲は、すべて博多時代に作られ80'S FACTORY、鹿鳴館、TVKのFIGHTING'80'Sといったライブの中で育てられたいわばMODSのピュアなビートと歌がぎっしりと詰まった作品である。それは今だに代表曲としてファンの間に歌い継がれている曲が多いことで証明される。
1982/6/20に4000人を動員して日比谷野外音楽堂にて行われたデビュー1周年ライヴ。途中、記録的な集中豪雨に見舞われたにも関わらず、誰1人として帰らなかったという伝説の『雨の野音』の映像です。
[歌詞]
[THE MODS OFFICIAL SITE]
スイート・インスピレーション

■1984/9/21 Victor
■7thシングル
■作詞:柴山俊之 作曲:鮎川 誠
70年代のロックシーンに衝撃を与えた伝説のバンド『サンハウス』のギタリスト鮎川誠(ギター)が、浅田猛(ベース)、川島一秀(ドラム)を率い、愛妻シーナとともに78年に結成した元祖めんたいロックグループ。
ニューイヤーロックフェスティバル1984-85でのご機嫌なパフォーマンスをご覧下さい。
[SHEENA & THE ROKKETS' OFFICIAL WEB SITE a.k.a. RokketWEB]
ジェニーはご機嫌ななめ

■1980/6/1 日本コロムビア
■1thシングル
■作詞:沖山優司 作曲:近田春夫
奥野敦子(イリア)(ボーカル・リードギター)・柴矢俊彦(ギター)・沖山優司(ベース)・高木利夫(ドラムス)の4人組。当時前衛的だったシンセと奥野のファルセットボイスによりお茶の間の注目を浴びた。近田春男のバックバンド「BEEF」が前身ということもあり、デビュー後もしばらくは近田がプロデュース。ベーシストの沖山優司は2002年のヒット曲「おさかな天国」の作曲家としても知られる。
NHK1980年「レッツゴーヤング」より
多摩蘭坂

■1981/11 キティMME
■6thアルバム『BLUE』収録
■作詞作曲:忌野清志郎
多摩蘭坂は東京都国立市と国分寺市の間、JR中央線の国分寺駅、国立駅からそれぞれ徒歩10分ぐらいのところに実際にある坂。清志郎は詩のとおり不遇時代にこの坂の途中に家を借りて住んでいたことがある。映像の中で清志郎が歌っている後ろに見える石垣には、当所を訪れたファンによる落書きが書かれていたが、2002年マンション建設のために取り壊されてしまった。
[PVビュー]
[歌詞]
[忌野清志郎OFFICIAL WEB SITE -地味変-]
矢沢永吉「青春プレイバック」

アマチュア時代の練習場所だった横浜市中区相生町にある食堂『梅香亭』を訪ね、当時お世話になったおばちゃんと再会を果たす。この食堂は古くからの矢沢ファンにとっては聖地となっており、多くのファンサイトに紹介されている。
残念なことに、映像に登場するおばあちゃんは、2003年1月22日にお亡くなりになりました。享年91歳 合掌。
アンジリーナ

■1980/3/21 EPIC・SONY
■1stシングル
■作詞作曲:moto-LION-sano
佐野元春 with THE HEART LANDの記念すべきデビュー曲。80年代の和製ロックシーンの扉を開けたエポックメーキング的な一曲。疾走感にあふれたビートに言葉を詰め込んだ曲作りは当時の音楽シーンに大きな衝撃を与えた。「ライオン」というニックネームは当時、天然ウェーブの長髪でピアノを弾きながら歌う元春の姿が、「上を向いて吠えるライオンように見えた」ことからミュージシャンの佐藤奈々子(現:nanaco)がつけたというのは有名な話。
[歌詞]
[佐野元春オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server]
矢沢永吉と荒井由実の貴重映像
雨上がりの夜空に

■1980/1 POLYDOR
■9thシングル
■作詞作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市
1970年、忌野清志郎(ボーカル)・小林和生(ベース)・破廉ケンチ(ギター)のフォークトリオとして『もう宝くじは買わない』でデビューしたRCが、古井戸の仲井戸麗市(ギター)・Mr.SLIM Companyなどで活動していた新田耕造(ドラム)・原田真二のバックなどをしていたGee2woo(キーボード)のメンバーを加え(破廉ケンチは1977年に脱退)、10年の歳月を経てこの曲を引っさげて、サイケデリックな衣装にド派手な化粧、ストーンズを思わせるバンドサウンドとパンキッシュなステージパフォーマンスで一気にスターダムにのし上がる。同年10月に発売された『トランジスタラジオ』とともに後の和製ロックのスタンダードとなったナンバー。
1980年4月5日久保講堂で行われた、アルバム『RHAPSODY』の伝説ライブ映像をご覧下さい。
[歌詞]
[忌野清志郎OFFICIAL WEB SITE -地味変-]
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